設立

jalは日本エアシステムと、2002年10月に合併を前提とした経営統合を行っておりその動向が注目されております。そこで統合前のjalの歴史を振り返ってみたいと思います。

第二次世界大戦後

jalの設立は第二次世界大戦における日本の敗戦後でした。その当時はGHQにより全ての航空機の運行が厳しく取り締まりを受けている最中でした。しかしその数年後1950年には運行禁止の解除が決定し、1951年1月に国内航空運送事業免許の取得を目指して「日本航空創立準備事務所」が開設され、これが「jal」の大元になった訳です。1951年3月に国内航空運送事業の免許を申請。その2か月後に営業免許を取得したことを受けて、1951年8月に「日本航空株式会社」として産声をあげました。設立当初から半官半民の体制で、所有機も1機もなく、社員は今では考えられませんが、わずか39名でした。その後1951年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便としてたマーチン2-0-2型機で羽田空港-伊丹空港-板付空港間の定期旅客運航を開始しました。運行当初は国内線のみでしたが、1953年には東京(羽田空港) - ホノルル間を結ぶ国際線がスタートしました。運行当初は他国の会社に圧倒され赤字続きでしたが、エコノミークラスの開設や各国への支店の展開などの戦略で1955年度には黒字に転じました。なお、この頃より、皇族や首相、閣僚の海外公式訪問や国内移動の際にJalが利用される様になりました。1960年代には東京オリンピックの開催も有り、海外からの来日客の増加で一気に国を代表する大企業へと発展していきました。1980年代には日本のバブル期に合わせ円高が進行し、外渡航が飛躍的に増加した。しかし1982年には機長が故意に墜落させた日本航空羽田沖墜落事故が発生。さらに1985年8月には、ボーイング社の修理ミスが原因で単独機の事故としては世界最大の犠牲者数を出した日本航空123便墜落事故が発生し、これによる利用客の減少と補償経費の増加などによって一時的に業績が悪化した。1990年代にはリゾート路線向けのキャンペーンを大々的に導入し、これがユーザーに受け入れられた事により世界でも屈指の航空会社へと成長していった。